MEMORY


 

俳優 中山仁さんとの思い出

 

 

2019年10月12日、俳優の中山仁さん77歳が自宅で亡くなった。
事務所に闘病も知らせず、故人の遺志で葬儀、お別れの会も開かず、特に死去についての公表もしなくていいという内容だった。

ひょんな事から中山仁さんを知り、舞台を度々拝見するようになった。
だから、死去のニュースを知った時、派手を嫌っていた中山さんらしいと思っと同時に、驚きました。

そこで、追悼の意を込め自分のリクエストでフィギュアを作成しました。
作品はウルトラマン80のオオヤマキャップ、若かりし頃の姿。

中山仁さんの代表作はやはり、「サインはV 」だろうが、自分の趣味としてウルトラシリーズのウルトラマン80のオオヤマキャップにした。
元々、ウルトラシリーズは好きだし、勿論、昔のウルトラマン、(平成以降の作品はついて行けない!)ウルトラマン80は、子供の頃観たと言うより、中山さんと知合い、これも代表作で隊長としてカッコイイと聞いたからでした。
DVD観ながら主役よりもオオヤマキャップの方がナイスじゃないか・・・と個人的には思ったものでした。

正に頼りになるリーダー的な役を演じればピッタリの素敵な方でした。
自分が知る以前の若かりし頃の姿、似ているのかと心配しながら、少しでも再現出来たらと思い作成しました。
(天国の中山さんにも)楽しんで頂けたらと思います。

 


  特撮系の作成は初めてだったので苦労しました。  

 



  それなりの雰囲気を出すのに苦労(>_<)
 

  隊員服の細部はこんな感じ。いずれ気が向けばヘルメットも作ってみたいが、難しいかな・・・。  

 

  キリットしたUGMの隊長、オオヤマキャップの設定はチョコレートが大好きとなっていたらしい。
舞台を観た後のお土産で、チョコレートよく持って行きました。
甘いものは疲れが取れると言っていた姿と重なります。
 

 

2010年頃、楽屋での一時。

 

  中山仁さんとの出会い・・・・そして思い出

自分が中山さんに興味を持ったのは、昔、水曜ロードショーで放送されたアニメ三国志で吹き替えをしていた事が初め。
とにかく低音でなんともカッコイイ声にひかれ、 そこからお会いしたいと思い、芸術方面で父の知合いの方に頼み、俳優の故・橋本功さんの紹介で中山さんと知り合えた。

中山さんに、紹介されてお会いする迄の経緯を話しても、中々理解してもらえず、いつも「橋本さんの親戚だろ」と言われ、最後には自分も面倒で、違うとは言わなくなり、いささか珍妙な出会いで始まった。
確かに橋本さんにたどり着くまでの経緯が、解りにくかったかな?と・・・生前、橋本さんにその事を話しても、「別にそれでも良いよ」と言われ・・・。自分も全然似てもいないけどまあいいのか、
なんて!?、振り返って考えると、結構皆さんいい加減でしたが、面白い思い出です。

それ以来、仁さんが50代の頃からか、舞台を度々拝見させて頂きました。
決して派手でもなく、今どきの芸能界とは一線を画すと言う感じ。
テレビで民放はほとんど観ない、今どきの俳優にも興味はない中で、やはり昭和の名優は違うと感じたものでした。

舞台後、楽屋でちょっとした短い時間でしたがお邪魔しました。
年もだいぶ上、とてもダンディな方で本当にいつも緊張していた気がします。
テレビよりも舞台の方が好きだと話されていた。
演出も面白いと言って、考えた話を聞いた時、「面白いと思うだろ」と言われ、自分はあまり面白いと思わず、返事に困った事。

コワモテに見えるけど、「中山さんの笑い顔は可愛いですよ」と言ったら、「じゃあ笑わないようにする」と言い、「どうしてですか?」と聞いたら「ナメラレたら困るから」と言ってニッコと笑う。そんな茶目っ気もありました。
時代劇、「付き馬やおえん」の舞台を見た後、「同心の村木の旦那役は好きですか?」と聞いた時、「何とも思わない」とストレートに即答され・・・。
「いつもお若いですね。」と言えば、「バカだからだよ」と、またド・ストレートに返答され、そんなものかと思ったり、サバサバしたクールな方だ。
「お金はあっても使っちゃダメだよ」なんて言わたり・・・汗 汗。「仕事より飲み会で騒ぐ奴は使えないからだめだよね~」と意気投合したり、次の舞台や予定はと聞けば、「決めてないからまだわからないよ~」なんて事が結構ありました。普通、俳優は先の先まで予定を決めているなんて事を聞きますが、そんなものか・・・と、いや多分、中山さんが他の方とは違ったのかなと思います。

床山さんがカツラを持って来ていて、「普段こんな事見れないだろうから、良く見るといいよ」と気さくに言われ嬉しかった事等々・・・。
舞台では、凛として大きな声が良く通る方でしたが、実際に話している時は声が大きいとは思わず、逆に低音で小声に思えた。

お互い、家族とかプライベート的な話なんて疑問も持たず全然しない。
その日に観た舞台の事、その時思いついた事を勝手に話す、なんとも不思議なお付き合いでした。

こんな調子、今思い起こせば、何を話していたのやら。もう少し、内容のある話をすればいいものを(^^;)

今は無い渋谷のジャンジャンの様な小さな劇場から、明治座や帝国劇場のような劇場迄、お逢いしていなかったら行かなかっただろうと思います。演劇と言う知らない世界に触れた事に感謝です。
明治座で時代劇でもあれば、周りは年配の方が圧倒的に多く、(でも時代劇好きだから)場違いか~と感じた事等も懐かしい。
本当に自分も若かったから色々張り切って観に行った。正に若かりし頃の良い思い出。

ここ何年もの間、仕事の関係や体調等から舞台も観れず・・ご無沙汰してしまいました。
楽屋でお会いした事、幻か夢のように感じるが、当時の写真等を見て、現実だったと思う気持ち。

初めてお会いしたのは、ご自宅近くのお気に入りの喫茶店。
美味しいコーヒーが飲めると言っていたが、何故か自分がアイスコーヒーを注文したら、間違ってアイスティーが出てきた。まあ、自分はどちらでも良かったけど、中山さんはコーヒー飲ませたかったと、ブツブツこだわっていた思い出等々、短くてくだらない雑談だったかも、でも、こんな雑談でも、もっと色々話を聞きたかったと寂しいです。
往年の正統派二枚目俳優「中山さん、もうお会い出来ないが、これからもずっとファンです」と、思うのでした。

 

 


 


 

 

 

 

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